風呂敷に関する知識

着物の持ち運び
日本人として守っていきたい伝統文化として代表的とも言える着物。
最近では洋服が当たり前になっているため、着物を普段着として
着こなしている人を見かけると、無意識に目を引きます。
また、何かの行事などによって着物を持って出かける必要がある機会もあります。
着物を持ち運ぶ際、たとう紙に包んだままでは中で動いてしまい
しわの原因になりますので、風呂敷をおすすめします。
着付け処に持っていく場合には、できる限り中身を出して持っていくことがマナーです。
箱や袋に入ったままでは手間もかかりますし、たとう紙のまま
包んでしまうと紙の角が折れ曲がりボロボロになりますし、
変なしわが付くことになります。
たとう紙は収納時のものと考えましょう。
大きめの風呂敷を広げ、一番下には台紙代わりに帯を適当な大きさに
たたんで置きます。
着物はたとう紙から出した長めのままで、片方の端を帯と揃えて上に重ねて置きます。
その上に長襦袢や肌着を置き、帯上げや小物類を置き、最後に着物の出た部分を
上に被せるようにすると余分な折り目やしわが付くことはありません。
風呂敷は対角をそれぞれ真結びにした四つ結びでも、対角を倒し
左右を真結びにしたお使い結びでも構いません。
風呂敷に包むことで、広げるとそのまま用意が整います。
着物を着こなせるのと同時に、風呂敷を使いこなせる大人になりたいものですね。
和服からの転換はいつ?日本で洋服が普及していった流れ
最初に洋服が日本に伝わったのは16世紀です。ポルトガルやスペインからキリスト教宣教師たちが日本へ来た時に西洋風の服飾いわゆる
南蛮服が知られるようになりました。
このとき、織田信長が西欧の服や鎧を好んで着ていたと伝えられています。その後、江戸時代になると、鎖国状態だった日本では一般的に
洋服が見られることはありませんでしたが、長崎の出島にいたオランダ人やオランダ商館長が着ていた洋服についての記録が残されています。
1858年に結ばれた日米修好通商条約により、日本人が外国人と直接会って交渉するようになったので、外交に関わる人たちは洋服を着るように
なりました。さらに幕末になると西洋化を進めていた諸藩や幕府が西洋式の軍服を採用するようになり、1864年の禁門の変で長州征伐用に
着るための軍服を西洋式にするため、小伝馬町の商人・守田治兵衛が2000人分の軍服を試行錯誤の末に完成させました。
これが日本初の洋服の大量生産だといわれています。この頃、最後の将軍・徳川慶喜がナポレオン3世から贈られた司令官服を着用し、
当時の写真も残されています。また、高杉晋作が創設した長州奇兵隊の隊士たちも西洋式の軍服を着ていました。